国際交流基金の事業による空手道の海外派遣指導における報告 | 報告者 信川 邦明 | 特集記事 |
この大会は2年に一度開催される南アジアオリンピックの空手道正式種目として開催されたもので権威ある大会である。 スリランカで開催されるのは今回が初めてであり特に治安状態(北部で内戦状態)が悪いのでセキュリティーには気を配った大会になる。 招待された日本代表役員審判は 団長 アジア(AKF)代表技術委員長 :高松清實 レフリーカウンセルメンバー :松村耕一 金澤 実 西川吉重 佐々木清己 信川邦明 8月21日(月) 早朝西明石より新幹線で一路東京・成田へ向かう、途中新大阪から西川先生と合流した。集合時間が11時であったが成田エクスプレスの15分遅れで少しあわてた。 空港でメンバー全員と合流し団長の指示により結団式を行い全員の意思統一を図った。 フライトまで少々時間が有ったのでビールで乾杯。 約11時間かかつてモルジブ到着、一瞬ここで降りるのかと思い後1時間掛かると聞いてがっくりした。ようやく到着したのは日本時間で夜中の12時頃であった。 空港にはスリランカへ空手シニアボランティアとして赴任している近藤先生やスリランカ連盟アヌラ会長と副会長・事務局長が出迎えにきて下さっていた。 コロンボまで出迎えの車に乗り白バイの先導で約1時間掛かってやっとホテルへ到着した。途中何箇所も検問所があったが我々の車は白バイ先導であるのでノンストップであった。ホテルへ到着してからチェックインにまた1時間掛かった。荷物を整理したらもう朝であった。本当にのんびりしている(スリランカタイム)と実感した。 8月22日(火) 朝方に到着したので昼まで就寝、午後より制服を取りに行ったが、なぜか信川の分だけ色(通常は紺がエンジ)が違っていたので全員着てきた通常のレフリー服装で大会に臨むことになった。大会会場でレフリー及びテクニカルミーティングを行った。参加国代表と我々日本から参加したメンバーでの審判について再確認をした。 8月23日(水) 今日から大会であるが大会会場は施設が少なく体育館は一箇所であり室内競技は同じ体育館で競技を行うことになっていた。 従って午前中はバレーボールとかボクシング等を行って、空手は午後4時以降になっていた。毎回会場設営が大変だ。 女子の形競技より始まり男子の団体形で終了した。 8月24日(木) 今日も夕方から競技が始まるので8時起床で朝食を済ませのんびりさせてもらった。 ホテルの前の海岸へ全員で散歩した。あたりまえだがインド洋の海水も日本の海水も同じであった。海岸が公園になっていてカップルが傘をさしているのが目立った。 これはこの国の習慣というか国民性のものであり、カップルでいちゃついているところ(顔)を大衆に見せてはいけないという国柄だそうだ。(傘で顔を隠していた) 午後プールで一泳ぎしサウナに入って疲れを癒した。 夕方より大会会場へ移動午後5時より競技開始し女子・男子の組手を各種目決勝まで行った。 8月25日(金) 朝から夕方まで時間があるので近藤先生にお願いしてショッピングと観光に案内してもらった。コロンボの寺院や動物園へ案内してもらいその後小さなショッピングモールのような所へ案内してもらった。(デパートは無い)昼食は久しぶりににぎり鮨でおいしく感じた。日本料理店が2〜3軒あるそうだが値段的には日本と変わらない。 ちなみに貨幣レートは1ルピーが1.3円位で鮨の盛り合わせが900ルピー(日本円で約1000円)であった。 本日も夕方より競技開始したが、ネパールの男子選手が競技中レフリーの判定に不満がありコートの真ん中で座り込みを始めた、一度はレフリーの指示に従って競技続行したが再度座り込みをしレフリーの指示に従わなかったので失格にした。 その後、女子の組手になりネパールの選手が負けたため失格になった選手が氷袋をコートに投げ込んだ。レフリー全員コートより退場し高松T/Dと相談をした結果該当選手には2年間の公式大会出場停止処分とした。本来なら国単位での処分になるが観客どうしでの争いに発展しかねるので選手のみと寛大なる処置になった。 8月26日(土) 朝からコロンボの博物館を案内してもらった。入場料が外人と現地人とで全然違うのには驚いた。外人は20倍の料金で明記してある。普通日本では考えられないことであるが国の事情で仕方が無い。大人一人500ルピーであった。 本日も夕方からの競技開始でゆっくりできた。トラブル無しで終了 8月27日(日) 休日であり全ての競技は無し、コロンボ市内を歩いて回ったが暑くて疲れた。 ゆっくりと昼寝をさせてもらった。 8月28日(月) 最終日は朝からの競技で残り4種目を行った。やはり金メダルの数はパキスタンがトップでありスリランカは2位であった。この大会でスリランカは空手道競技が一番メダル数が多かったので役員は鼻高々であるように見受けられた。 午後は総合閉会式に参加するのでホテルで着替えるまもなくメイン会場へバスで移動した。会場には全席満員であった。 最初は学生や軍隊のマーチングバンドに始まりその後は有名な歌手の登場で歌踊りありの閉会式であった。選手も整然と入場しその中でもスリランカ空手道チームの近藤コーチの嬉しそうな顔が印象的であった。 近藤先生もきっと感動されたことと思う。胸が熱くなった閉会式であった。 最後は花火で幕を閉じた。 8月29日(火) 朝から2時間の予定でスリランカ連盟の審判講習会に指導を頼まれ体育館へ出向きました。約30名位の受講生が参加しルール説明をしてゼスチャーとか発声練習をした後実技の練習を行った。レベル的には日本の県単位の審判より少し低いように感じた。 夜は連盟主催の送別会に出席し連盟役員と歓談をして名残を惜しんだ夜であった。 ちなみに連盟1/5位の役員は日本語が話せるようであった。 我々日本人も外国語を話せるようにならなければついていけないであろう。 8月30日(水) 朝寝坊をして起きたら10時頃であった。それから帰国準備をし16時にロビーへ集合し 空港まで車で送ってもらう。帰りは白バイの先導が無いのでラッシュと重なりまた検問にも止められ空港までかなりの時間が掛かった。 空港について買い物をする予定だったが免税店も少なく買うものが無かった。 20時30分発の成田行き定刻に飛び立った。 8月31日(木) 機内同じ姿勢で12時間も乗っていたらぐったりでした。しかもエコノミークラスは大変であった。一晩機内で過ごすのは初めてで歳には勝てないと思った。 日本時間11時30分定刻に成田へ到着し解団式をして一路新幹線で帰路に着いた。 雑感 スリランカは貧富の差が激しく庶民は月収約1万円〜1万5千円位で日本の30〜40年前の暮らしぶりである。 金持ちはどんどん財産が増えるような仕組み(相続税と贈与税が不要)であり政府の政治政策の不備が目立つ国である。人口は日本の1/6で国の面積も1/6位であるが、なぜか大臣が60人もいるのが不思議だ。大臣それぞれに車と警備、住宅にと無駄な費用を使いすぎである。 日本人は贅沢しすぎで豊かな物資が手の届くところにあり、なに不自由なことが無いのでたまにはこんな貧乏な国へ行って一度自分を振り返るのも良いのではないかと実感した。 |
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